一覧(新着順)(17)



[17] 【抜擢人事には介添えを】

先輩が多くいるにもかかわらず、その後輩の若い人を抜擢して上のポストにつけるという場合があります。そういう場合には、単に辞令を渡して“今度A君が課長になった”と発表するだけでは具合が悪いと思います。そんな場合には社長が、その課の一番古い先輩に、課員を代表して「われわれは課長の命に従い頑張ります」というような宣誓をさせるなりなんなりして、はっきりけじめをつけさせることが必要です。それをしないでいると、変なわだかまりがくすぶり、課全体が困ることにもなります。
抜擢人事には、そのように、社長が適切な介添えをすることが、非常に大事だと私は思います。


[16] 【正しい競争を】

私どもが会社を経営していく時に、同業会社と非常な競争になります。競争はしなければならない。しかしそれは正しい形においてなされなければなりません。卑怯な競争はしてはならない、まして相手を倒すとか、相手に損害を加えるというような競争の仕方であってはならない、というのが、事業をはじめて以来一貫した私の指導精神です。競争会社があってこそわれわれの励みになるのだ、そういうように競争会社を発展的にみなければならないと考え、また社員の人にも言ってきました。
われわれは事業人であると同時に、やはり紳士でなければならない、正しい商売を遂行していかなければならないと思うのです。


[15] 【自分の最善を尽くす】

 太閤秀吉という人は、ぞうり取りになれば日本一のぞうり取りになったし、炭番になれば最高の能率をあげる炭番になった。そして馬まわり役になったら、自分の月給をさいてにんじんを買い、馬にやったという。このため嫁さんが逃げてしまったということだが、そこに太閤の偉大さがある。馬番になったが、「俺はこんな仕事はいやだ」などと言わずに、日本一の馬番になろうと努力した。
 つまり、いかなる環境にあっても、自分の最善を尽くし、一日一日を充実させ、それを積み重ねていく。それが役に立つ人間であり、そのような事が人を成功に導いていく道だと思うのである。


[14] 【呼びかける】

自分が商売をしていて“これは良い商品だ。使えばほんとうに便利だ”と言うものを見つけたら確固とした信念を持って、お客さんに力強く呼びかけ、訴えるということが大事です。そういう呼びかけをするならば、お客さんもおのずとその熱意にほだされ、一度使ってみようということになる。その結果、非常に喜ばれ、“なかなか熱心だ“ということで信頼が集まり、自然に商売も繁昌していくことになります。
要はそういう呼びかけを喜びの気持ちを持って行うこと、そこにこそお客さんにも喜ばれ、世のため人のためになる真の商売を成功させる一つの大きなカギがあるのではないでしょうか。


[13] 【忍ぶべきを忍ぶ】

誠心誠意いいものをすすめたけれども用いてくれないというので憤慨し、これは相手が暗愚だからしょうがないとやけになって、結局うちこわしになってしまうことが、ままあるようです。
 しかし、そういうことでは、私はたいしたことはできないだろうと思います。用いてくれなければ時をまとう。これだけ説明してもだめだというのは、これは時節がきていないのだーそう考えてじっと忍耐していくところから、無言のうちに知らしめる、というような強い大きな誠意が生まれてきます。そしてそのうちに、相手が自ら悟ることにもなって、それが非常な成功に結びつくことにもなりましょう。


[12] 【世界に誇れる国民性】

同じ日本人でも細かく見れば、考え方や性格など実にいろいろな人がいるわけですが、しかしまた一面には、日本人には日本人としての共通の特性というか、日本人独特の民族性、国民性というものがやはりあるように思います。日本独特の気候や風土の中で長い間すごしているうちに、たとえば日本人特有の繊細な情感というようなものが、しだいに養われてきたといえるでしょう。
日本人の国民性の中にも、反省すべき点は少なくありませんが、とくに勤勉さとか、器用さとか、恵まれた気候風土と長い歴史伝統によって養われてきたこういう特性には、世界にも大いに誇りえるものがあるように思うのです。


[11] 【持ち味を生かす】

家康は日本の歴史上最も優れた指導者の一人であり、その考え方なり、業績は学ぶべきものは多々ある。しかしだからと言って他の人が家康の通りにやったらうまくいくとかというとそうではない。むしろ失敗する場合が多いと思う。と言うのは、家康のやり方は家康という人にしてはじめて成功するのであって、家康とはいろいろな意味で持ち味の違う別の人がやっても、それはうまくいかないものである。
人にはみなそれぞれに違った持ち味がある。一人としてまったく同じということはない。だから偉人のやり方をそのまま真似るというのでなく、それにヒントを得て自分の持ち味に合わせたあり方を生み出さねばならないと思う。


[10] 【限度を超えない】

社会には、いわゆる常識というものがあります。そしてその常識に従って、ある一定の限度というものがあるはずで、たとえば、お金を貯めることも結構なら使うのも結構ですが、その限度を超えて吝嗇(りんしょく)であったり、また金使いが荒く、借金だらけであるということでは、世間が承知しません。やはり、収入の範囲において、ある程度使うということが許されるわけで、これを越すと信用問題が起こってくることになります。
何をするにも、その限度を超えないように、お互いに十分注意し合い、行き過ぎたことは遠慮なく忠言し合って、おのおの責任感を持ってやっていくことが望ましいと思うのです。


[9] 【利害を一にしよう】

おとなと青年、あるいは子供との間に断絶があるとすれば、それはわれわれの言う商売的な利害をともにしていない、さらにもっと高い意味の利害を一にしていないからだと思います。親は子のために、子は親のために、ほんとうに何を考え、何をなすべきかということに徹しているかどうか、また先生は生徒のためをほんとうに考えているかどうか、生徒は先生に対してどういう考え方を持っているか。そういう意識が極めて薄いために、そこに溝ができ、それが断絶となり、大いなる紛争になってくるのではないでしょうか。時代が時代だから断絶があるのが当然だと考えるところに根本の錯覚、過ちがあると思うのです。


[8] 【適正な給与】

誰しも給与は多いほうが良いと考えます。その考え方自体は決して悪いとは思いません。しかし、会社が仮に多くの給与を出したいと念願しても、会社の一存によって実現できるかというと必ずしもそうは行かないと思います。やはり、それだけの社会の公平な承認が得られて、はじめてそれが許され、恒久性を持つわけです。
給与が適正であるか否かは、会社にも従業員にも、その安定と繁栄にかかわる重要な問題であり、同時に社会の繁栄の基礎ともなるものです。お互いに十分な配慮のもとに、絶えざる創意と工夫を加えて、その適正化をはかっていかなければならないと考えます。


[7] 【人生の妙味】

雨が降ったり雷が鳴ったりという自然現象はある程度の予測ができるものの、正確にはつかみえない。
われわれの人生の姿も、この自然現象とよく似たものではないだろうか。そこには、天災地変に匹敵する、予期できない多くの障害がある。われわれはそれらの障害の中にありながら、常に、自分の道をもとめ、仕事を進めてゆかねばならない。そこに“一寸先は闇“とよく言われる人生のむずかしさがあるのであるが、そういう障害を乗り越え、道を切り開いてゆくところに、また人生の妙味があるのだとも思う。予期できるものであれば、味わいも半減してしまうであろう。


[6] 【事あるたびに】

私は、世の中というものは刻々と変化していき、進歩発展していくものだという見方を根本的に持っています。何か事あるたびに、この世の中はだんだん良くなっていくと思っているのです。
あの誤った戦争をして、あれほどの痛手を被ったにもかかわらず、今日のような繁栄の姿になっているのは、どういう問題が起ころうとも、世の中は一国一国進歩発展している一例ではないでしょうか。あの戦争があってよかったとは決して思いませんが、しかしどういう事があった場合でも、お互いのあり方次第で、それが進展に結びつく一つの素因になるのではないかと思います。



[5] 【恩を知る】

恩を知るということは、人の心を豊かにする無形の富だと思います。
猫に小判ということがありますが、せっかくの小判も猫にとってはまったく価値なきものに過ぎません。恩を知ることはいわばその逆で鉄をもらってそれを金ほどに感ずる。つまり鉄を金にかえるほどのものだと思うのです。ですから今度は金にふさわしいものを返そうと考える。
みんながそう考えれば、世の中は物心とも非常に豊かなものになっていくでしょう。
もっとも、この恩返しということは決して要求されたり、強制されるものでなく、自由な姿でお互いに理解され浸透することが望ましいと思います。


[4] 【命をかける】

「人多くして人なし」と言う言葉を、昔ある先輩から聞いたことがある。考えてみると、会社経営においても普通の状態では、間に合う人は大勢いる。ところがさて、大事に臨んで間に合う人というと、きわめて少ないものである。
では、どういう人が大事の時に役に立つか。その道の知識とか経験が大きな比重を持つことは当然だが、ただそれだけではダメのように思う。その上に何が必要かというと、「生命を賭す」気構えである。と言っても今日ではほんとうに命を捨てると言うことは極めて少ないが、いざというときには「命をかけて」と言う気構えを、いつの場合でも持っている人が、本当に大事に役立つ人だと思うのである。


[3] 【大義名分】

古来名将と言われるような人は、合戦に当たって必ず「この戦いは決して私的な意欲のためにやるのではない。世のため人のため、こういう大きな目的でやるのだ」というような大義名分を明らかにしたといわれる。いかに大軍を擁しても、正義なき戦いは人々の支持を得られず、長きにわたる成果は得られないからであろう。
これは決して戦いの場合ではない。事業の経営しても、政治におけるもろもろの施策にしても、何をめざし、何のためにやるのかということを自らはっきり持って、それを人々に明らかにしていかなくてはならない。それが指導者としての大切な勤めだと思う。


[2] 【上位者に訴える】

自分が最善を尽くしてもなお、これがいい方策だという確信が生まれない場合は、直ちに上位者に訴える必要があります。
もちろん、それぞれの人が会社の基本方針にのっとりつつ、責任をもって自主的に仕事を進めていくという姿はきわめて好ましいと思います。けれどもうまくいかない非常に困難な場合、自分だけで悩み、上位者に訴えない。上位者はうまくいっていると思って安心している。どうしてもいけなくなって、訴えた時はすでに手遅れだということが往々にしてあります。具合の悪い時は瞬時も早く上位者に報告して指示を仰ぐ、それが本当の責任経営だと思うのです。


[1] 【広い視野】

今日では、世界の一隅に起こったことも、それが瞬時に全世界に伝わり、さまざまな影響を及ぼす。そのような中で、自国の範囲だけ、自分の会社、団体の範囲だけの狭い視野でことを考え、行動していたのでは、往々にして過ちを犯すことになってしまうと思う。いま、視野の広さというのは、指導者にとって、欠くことのできないものであろう。
指導者は自ら世界全体、日本全体といったように広い範囲でものをみるよう常に心がけつつ、一国の運営、会社や団体の経営を考えなくてはならないし、また人々にそうした広い視野を持つことの大切さを訴えていかなくてはならないと思う。